緋呂の異界絵師通信

ミエナイセカイ ハ カサナッテル

レジンアートらむねさんのアートブックをご紹介

手元に届いていたのは、もうずいぶん前。

やっと、この記事が書けます。

 

 

レジンアートらむねさんの、とっても可愛いアートブック。

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B5版と大きめなので、写真がすごく、見応えあります。

写真も、カメラマンさんの手になるもの。

こだわりが感じられます。

 

表紙の上に載せてあるのは、「おまけ」。

すごい可愛いチャーム。

 

 

レジンっていうとね。

ここ数年、イメージするのは、封入物をいろいろ工夫している感じの作品です。

アクセサリーも雑貨も、そういうのが多い。

スピリチュアル系界隈では、オルゴナイトというエネルギー変換のためのアイテムなんかもありますが、それも、封入物がメイン。

(いやまあ、オルゴナイトについてはいろいろあるんだけど、ここではそういうことにしておきます)

 

すごいキレイなものが多くて、見てるとわくわく感がありますね。

私もレジンはパーツ作りのために扱うようになったのだけど。

私の作るものって総じてキラキラ感や透明感と縁遠いので、すごく新鮮です。

 

が。

らむねさんの作品は、他のレジン作家さん達のとは、ちょっと違う。

彼女の作品は、「ハンドメイド」というイメージよりも、「ファクトリー」っていう感じに私は感じてます。

手芸から生まれてきたものではなくて。

たとえば、アイアン作家さんとか、フィギュア作家さんとかに近い感じ。

作る工程そのものはフィギュア作家さんととても近いと思うんだけれど。

精神は、アイアン作家さん...そんなイメージなんですよ。

なぜアイアンなのか自分でもよくわからないけど、なんかそれが一番フィットしちゃったので、そのまま書いてます。

原型を作ってそこから抜いていく、という工程を思えば陶器に似ているとイメージしてもよさそうなんだけど。

なぜだろう、陶器ではなくアイアンが先に来た。

「アイアン作家」って言ってもピンとこないかも知れませんが、適切な例をどうも思いつけない...ごめんね。

ひとまず、鉄を曲げたり溶接したりして、ハンガーフックとかドアベルとかカゴとか作っている的なことを思い浮かべてもらえればと。

 

たぶん。

その素材をどう活かすか、どういうフォルムを追求したら最も美しく機能的か、そして装飾的か。

そんなことの追求の仕方のイメージなのではないかな。

 

レジンという「流行している素材を使ってる」「ポップでカワイイものを作ってる」ところから、別の素材が大流行したらそっちに流れていっちゃうのかな、って思いがちな雰囲気があるのだけど。

(ごめん、私のイメージなので、そんなことない、っていうレジン作家の皆さん気を悪くされたら申し訳ない)

 

らむねさんの場合は、そもそもレジンを扱っている理由が、(これも私の勝手なイメージだけど)そんなヤワなところから出てない感じなのね。

すごく可愛くてポップなものを作ってらっしゃるのだけど、その根底にある精神は、すごく骨太でピシッと筋が通っている感じ。

今のレジン流行が去ってしまっても、だからという理由で離れたりはしないだろうな、っていう風に思えるし。

二液混合で作るエポキシレジンていう素材がそもそも工業用の材料だっていうイメージが私にはあるから、そのせいもあるかも。

 

 

ご本人にもお会いしたことあるけど。

華奢で、カワイイ方です。

すごくセンスもよくておしゃれ。

そして、やっぱり、「ヤワ」な感じはしない。

 

 

アートブックの感想記事なのに、アートブックの話が出てこんじゃん(笑)

 

とにかくさ。

この、表紙に使われている「お菓子の家」ていう作品。

ちっちゃなパーツまで含めて、全部、一人で原型から作ってらっしゃるわけですよ。

カワイイの、すごく。

女の子らしいっていうか、夢がある。

けど、これだけのパーツを全て原型から作り、型からとって研磨して、組み立てて...という果てしない工程をやりきっている、っていうのを思うと。

やはり、彼女の精神はもう、ふわっとしたハンドメイド作家とかじゃなく、

レジンを扱う職人アーティスト

だな、って思う。

 

彼女自体がアート、というか。

 

 

 

私は、らむねさんは、まだまだこんなものじゃない...今よりももっとカッ飛んだアイデアやセンス、そして技術をひっさげて、そして海外へ出て行くんだ、って思う。

 

そして、すでに次へと動き出していて。

来年は、合同展を開催されるそうです。

ramuneid.com

 

 

 

アートブックはね。

ご自身の目で確かめるのがいいと思います。

通販での受注期間:2017年9月25日(月)~10月1日(日)
発送は10月下旬予定

だそうですよ。

らむねさんのブログをチェックしてね。

ramuneid.com

 

 

作品は、一部minneで販売もされてます。

minne.com

 

 

原型から希望のものを作ってもらえるフルオーダーについて。

ramuneid.com

 

 

 

 

龍の徳利&ぐい呑みセット 神棚の酒器として活躍中報告

先日制作いたしました、龍の徳利&ぐい呑みセット。

こちら、5点セットでご提供させていただきましたオーナー様からお写真をいただきました。

 

もちろん、公開してもよいという許可をいただいております。

一部ぼかしを入れさせていただいたのは、私の気持ち。

オーナー様からは、別にそのまま載せてよいとお聞きしてますが、やっぱりドーンと丸見えは私がちょっと...。

 

 

 

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こちらのオーナー様はカミゴト師です。

神棚が、いささか、一般家庭向けではないかも...

 

酒器としてもらい受ける、というのは「アチラ」からのご指定だったようです。

(一応私もその「アチラの主様」には関わらせていただいています...)

(それについて詳細は割愛します...)

 

ぐい呑みが3つ、という中途半端な数でしたが、「ぐい呑みが2つでも4つでもアウト、徳利が1つでも3つでもアウト」だったそうな。

3つになった理由は、極めて物理的な問題のためでございまして。

当初は、ぐい呑み4つのつもりだったので、徳利1つにぐい呑み2つ、というセットを2セット用意する予定だったのです。

が、ぐい呑みの一つがいささか、高台(足のところと思っていただければ)の一部に成形不良が見受けられたので、省きまして。

試作品でもあったので、まとめて1セットという扱いで引き取っていただければとお出ししたものでした。

 

徳利2つにぐい呑み3つ、という、この「数」が、ジャストフィット数だったそうで。

 

アチラ様の事情は私には知る由もないところではありますが。

えてして、そうしたものだということで。

 

 

 

※ご神前のことは、普通なら「載せていい?」なんて聞きません。

今回のは例外です。

 

 

https://www.instagram.com/p/BXZnZTuFoBL/

思いの外いい感じに焼けてた! #陶芸作品 #絵付 #イッチン #徳利 #ぐい呑み #龍 #dragon

 

自分に呪いをかけたと思われる当時の出所不明の疑問の話

何でも実践訓練、というのが今までもずっと通常だったとはいえ。

今回のは、それもどうなんだろう、と首をひねる感じだった、8月の伝言シリーズ。

 

あれについて詳細言及はできませんけれども。

なによりも、メンタル面にも影響が出たことに自分でも驚きました。

あの件の発端は、辿ると「ひっかかりはあそこからかな」という出来事を振り返ることもできます。

 

そして、様々な要件が重なりあって、「視界を狭くしていく」という実地体験にもつながりました。

 

 

一連の流れの中で、自分の行き先の「なんのため」「自分のための、その先に何があるか」について度々、考えることになったのですが。

この問いは、今までも事あるごとにしてきたつもりの問い。

 

※「これについては一定の答えは出た」という記事を書いています。

「自分のため」の先になにがあるのか…自分の行動を貫く筋についての一定の答え - 緋呂の異界絵師通信

 

そして、その答えが濾過されてくる過程で、見えない世界と関わってきた当初から、時々思ってきた

「どうして、何も見たり聞いたりできない私に、こういう経験をする機会がきたり、それを見せてくれる人が何人も、常に近くにいたり、するのだろう」

という疑問を、改めて問い直すことにもなりました。

今回は、その問い直しについて書きます。

あくまでも、自分のためのメモとして書くので、意味不明とか気にしません。

 

 

 

私は見えない世界の絵を描きます。

が、私自身は、直接それを見聞きしたり体験したりする側ではないわけです。

時々、そうした波紋が起こす波から、飛沫が飛んできて。

それが、私の中に少し、流れ込むことがある。

その程度。

 

ただ、自分の立っている場所が…

やや、希少性のある位置であるらしい。

 

よくよく、龍とは縁が強い、と先日も言われたのだけど。

それをより、自分にも強く自覚させるためにだったのだろうかと思えるような流れも、今までには通ってきています。

「私は龍とは関係ない、むしろそこに手を出すべき立場ではない」という思い込みを持っていた時期とか。

もっと前には、特に日本の神話を中心とした見えない世界を、意図的に避け通してきた時期もあったり。

もちろん、自分では「意図的に避けてきた」という自覚は当時はなかったけど。

 

 

高校生の頃、「天叢雲劔を<草薙剣>にしたことが間違いだ」という、出所の不明な理屈が湧いて出て、実戦で叢雲を抜いたのは誰だ、というのを調べたことがありました。

意味のわからん疑問なんだけど。

その時は、どうしても調べなきゃいけない気がしまして。

当時どっぷりと小説を書く生活にハマりこんでいたけど、ネタは神話には触れていなかったので。

そういう理由で調べたわけではなかったです。

まだネットがない時代の話ですから、当たるのは文献。

主に、怪しい書籍が豊富に置いてある書店(というのが通学途中にあった不思議www)や、図書館です。

 

特に隠されたエピソードではない草薙剣なので、そう難しいことではなかったし。

そもそも、その登場人物自体は当時もすでに知識としては知っている<神>だったし。

「こいつかー」みたいな感想はあったけど(笑)

 

壇ノ浦?沈んだなら、沈みっぱなしでいいし。

むしろその方がいいし。

あれを地上へ降ろしたりするから悪い。

 

なーんて、思ったっけなあ。

何が「悪い」んだか、そこらへんは、不明です。

 

自分が七五三詣りをした熱田神宮にそれがある(らしい)とは、その時に知ったんだったかなあ。

熱田神宮はちょっと苦手なんだよね、今でも。

理由は、草薙とは関係ないですけどね。

 

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草薙剣 | 日本の神様辞典 に寄稿した草薙剣(つーか、日本武尊...)挿絵

 

 

 

とあるスピリチュアルリーダーを名乗ってらっしゃる女性に、その話をする機会があって。

その方から、

「それはあなたが持っていても仕方ない怒りで、今もう、それを手放す時がきているのだから、速やかに手放しなさい」

と諭されたんですよ。

それも、熱田神宮の本殿前で(笑)

 

は?怒りですか?

て、すごい不思議というか、宇宙語でも聞いてるような意味のわからなさだったのだけど。

実は今でも、草薙が草薙であることや、それが地上にあるとしたらそのこと自体も、それってなんかボタン掛け違ってるよねーって、気がしてます。

怒りはないけどな。

 

ひとまず、上の話は前の記事にちらっと書いたことの、詳細ということで。

自分で仕掛けた呪いは、逆転して活用するがよいというか「それしかない」と解釈した! - 緋呂の異界絵師通信

 

 

 

とにかく。

あまりにも意味不明すぎて、そういう世界に関することの疑問が出たりもイヤだったのですよ。

それで、興味もない、っていうことにして。

それを維持するためなんだろうね、意図的にスピリチュアル的なことには近寄らないようにしてました。

 

いろいろあってヘアピンカーブ切って絵描き道に戻ってから。

次々と、自分がいかに「箱庭」の中に囲われて生きていたかってことがわかってきて。

見ないようにしてたけど、その箱庭の中から出たことなかったんだ、ってこともわかって。

いやもう、まったく。

 

ただし。

私が再び、この世界に目を向けるようになるまで、放置しておいてくれたからね。

そのことは、感謝しなきゃ。

無理矢理戻された感も、多々あるけども。

それでも、時期が来るまでは放置しておいてくれたから。

 

 

私の最初のカミサマつきあいは、スサさんと、そして、ククリ様。 

ククリ様ていうところで、もう、逃げられんのも当たり前.........

 

 

一つ白状すると。

この記事は、もう一週間以上前にほぼ、書いてあった記事。

今、少々の文脈を修正しましたが、ほぼ原文のまま。

なんとなくUPしたくなくて保留にしてましたが。

結局、過去の自分がかけた呪いって話からずるずるっと、あげることになってしもーた。

とほほだってばよ。

 

 

自分で仕掛けた呪いは、逆転して活用するがよいというか「それしかない」と解釈した!

怪しい話なので、好きじゃない方は回れ右~!

 

 

昨日書いたブログに、ありがたい「応答」いただきました。

過去の自分がしかけた呪い せっかくだから逆転させて活用すればいいんじゃあるまいか? - 緋呂の異界絵師通信

 

勝手に、そう思っている(笑)

 

こちら、マーヤラジャ先生の記事です。

treneseteemayard.doorblog.jp

 

せっかくなので、引用させていただきつつ、もう少し考えてみる。

案外と、この呪詛になりやすい年齢は確かにある。
悲しいとか、苦しいという我慢しなくてはいけないのが、3・4歳ごろだったりすると、インナーチャイルドといってもいいけど、16位から20くらいまでが出やすいとされる、若輩時呪詛。

 

リンク先の記事は、若い頃に自分が仕掛けた、自分を潰そうとする呪いについて。

条件が重なると発動してしまう、「うまくいかなくする」制限。

それを、私は「呪いだ」と感じ。

どうせなら、逆手にとって利用できないか、っていうことを書いた。

 

この、「若い頃」というのが、まさに、引用させていただいた先生の文章にある、高校生~20代初頭の話だ。

最も、創作活動に没入した時代であり、それだけに、最も「痛手」を受けている時代。

エネルギー値も、高かった。

この頃に、私は「なんとも気持ち悪い、某神様に関する出所不明の疑問」について調べたりもしている。

そして、そういうことが起きるのがイヤで、日本の神への興味を「ない」ことにして、意識的に忘却、避けるというややこしいことをするにも至った。

この件はまた別に。

 

 

この頃、自分で仕掛けた呪い。

それを逆転して利用できないか、っていうのは、ホントに思いつきで書いたのだけど。

なるほど、確かに、先生の記述を拝読すれば、

「むしろ、そうするしかない」

ってことが、わかる。

自分で自分にかけた呪詛ってのは、他者にかけたものよりも解除しにくいんでよ。
ほら、呪詛は失敗すると自分に返ると言うじゃないですか。
若年期の自分→自分への呪詛→返す→自分に返る→返すのを返す→自分に返る… ええい、うっとおしい。

 

 確かに。

エンドレスじゃんね。

過去の自分に返したら、それはそれで、当時それでなくてもダメージ食らいまくってる自分に、さらなる追撃だし(笑)

(笑い事じゃないけど、もう笑うしかないというか笑えてくる)

 

 

やはり。

ここはひとつ。

今の自分のためにも、未来のためにも、そして過去の自分のためにも。

逆転、活用を図るのみ。

 

 

...で?

どうやるんだろ?

 

まずは、言縁百式を全部、描くことか。

知らんけど。

たぶん、そうなんだろう。

まあいいや、書き終わったら使い方諸々実技講習待ってるし。

 

そんでもって。

後ろにいるヒトらに、ちょっと、いろいろとサインを今のうちから送っておく...と。

(こう言っちゃなんだけど、おっさんは私に力貸す義務があると思うぞ...)

(でもカミだからな...)

 

 

 

 

描いた後で「返し」をくらった絵を貼っておこう。

もっとも、その返しというのは本件とはまるで関係ない話なんだが(笑)

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絵でやってきた応え|手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

思ったことが分不相応すぎたので返し食らいました、という。

 

 

神は人を救いません 自分の足で立って歩け、という以外にないんです

残念なお知らせがあります。

神は、人を救いません。

 

反論がある方はゴマンといらっしゃると思います。

そういう方に、こう思えと強要するつもりはありません。

だから、救ってもらえるのだと思いたい方は、思い続けていけばいいと思います。

そうすることでご自身が支えられ動ける、というのであれば。

 

 

神の存在を云々する時に、必ず一度は引き合いに出される問いがあります。

 

「神がいるなら、なぜこの世には理不尽が尽きないのだ?」

 

という。

 

 

この問いを、ずっとずっと問い続けている方は、「それがなくならない=神はいない」と結論を出す方も多いでしょう。

 

私から見れば、「いつか神が救ってくれる」と思い続けるよりはまだ、神はいないと思う方がマシかな、って感じます。

なぜなら、神はいないと思って、自分でどうにかするしかないのだと覚悟するってことが大事だからです。

頼ってしまって動かないくらいなら、いないものと考えてアテにしない方がいい。

そこらへんは、「アテにならない親」とか「アテにならない上司」とかと似たようなものです。

 

 

もちろん、「どの神を指しているか」というのは、けっこう大きな要素です。

一神教の神なのか、なんでもあり多神教なのか、っていうのは、すごく大きいです。

私は多神教派ですけれど、一神教の神も「地球の神」の一柱であって、地球の神にはそのまた上の神がいる、っていうのを支持してるという意味の多神教です。

ゆえに、一神教も否定はしません。

それも、一つの在り方だと思います。

しかし、究極的には根源は一つ...も支持していますので、ある意味では一神教派とも言えなくはない。

 

そんな都合のいい話があるかって?

あります。

 

 

んで。

冒頭の、残念なお知らせに戻りますが。

 

神は人を救いません。

人を救うのは、人。

というか、自分自身。

それ以外の何者も、救うことはできない。

 

神がいるのになぜ、災害も理不尽な死も不公平もなくならないのか?

だって、そんなの当たり前ですから。

神は、「人の基準による理不尽」など、意に介さないですから。

なぜ、是正する必要があるのか?

そもそも、それを神は不都合と見なしていないのに。

意味ないじゃないですか。

 

 

神がいないから、何もなされない...のではなくて。

神は、そもそも、そんなための存在ではないのです。

 

人間の思う理不尽というのは、人間の尺度なので。

神の尺度ではありません。

神が人の尺度を優先して考慮すると、なぜ、思うのか?

私には、そっちの方が不思議です。

人間が、スズメバチの都合を考慮することなく巣を駆除するのと基本は同じですよ。

 

 

人にとても近い層に存在する「神」もいます。

その神々は、人の願いを叶えたり動いたりしてくれます。

けれど、その層の神々に、世界の構造全体をどうこうする権限はありません。

人間尺度の理不尽をなくす、というようなことは、世界の構造全体に関わることなので、そこに対しては無力です。

つまり、人を救うことはできません。

でも、人間にとって御利益をいただけるのは、その層の神々ですから。

 

例えるなら。

 

ちゃんとした働きをしたら特別報償をくれる会社が、人に御利益をくださる層の神々。

(ただし、働かないの度が過ぎれば切られることもあります)

 

その会社を取り巻く経済構造の全体が、その上の層の神々。

 

と思えば。

個人の利益に対して経済構造そのものが何らかの手を差し伸べるなんてことはない、って、わかるのではないでしょうか。

 

人間の一部にはスズメバチを偏愛してやまない者がいて研究もしているけれど、決してそれが人間全部には伝播しない。

だから、スズメバチは常に巣や仲間を突然失い全滅するリスクを呑みながら、人家の軒下に巣を作る。

その場所が、巣作りに都合がよい環境だから。

そういうものです。

 

理不尽な構造そのものが、神の在り方の縮図でもあります。

 

だから。

さよならカミサマ」と言って別れる道を選ぶことは、ある意味、正しい。

社会全体の構造なんていう大きすぎるものが人一人をなんとかしてくれる、と期待し続けて時節を無駄にするくらいなら、背を向ける方がマシ。

そして、背を向けたからって社会全体という存在が消え失せるわけじゃない...とも、わかるのでは?

 

 

 

見えも聞こえもしないヤツが何をわかったように!

って思う方に、どうしても理解してもらいたいとも思いません。

私だって、そこは自分でも疑問に思うこと多々なのですから。

だけど、もうどうしようもないんです。

これ以上、説明のしようもないし。

どうやっても証明などできることじゃないし。

 

ただ、神は人を救う存在ではない、っていうことがわかると、それこそ「救われる」人が増えると私は思っているのですよ。

そうか、自分でやるしかないんだ、って。

納得というか、納得できなくてもいいけどそう思って動き始めるのが大事だから。

 

自分の足で立って歩け

 

ていうことなんです。

 

祈りに全時間を捧げようと。

全財産寄付しようと。

何万人に布教しようと。

 

救われるためのパスポートは、もらえません。

 

 

そして、人は人だけで生きているのでも、人だけで世界を作っているのでもありません。

見えない世界は常に、人の世界と重なっていて。

相互に影響し合っている。

人の世界の在り方が変化すれば、見えない世界の在り方も変わっていきます。

さらに離れてしまうこともあり得るし。

そうなれば...なんというか...これは私の感覚による表現なので正確ではないのですけども...

空気が薄くなる

と、思います。

 

人は今よりも、生きていきにくくなる。

人そのもののエネルギーも薄くなる。

人が人であるために必要な滋養を補給できにくくなるから。

 

 

依存するのではなくて、都合よく利用するのでもなくて。

お互いが、お互いの存在を感じつつそれぞれを全うする。

ていうのが、理想かな、と。

 

 

「何もしてくれないなら、いなくてもいい」

と思ってしまうのも、人だな、って。

私は、感じるけれど。

そもそも、それは人が「子」だから思うことなんだとも、思います。

 

 

まあ、何をしてくれるとか関係なしに。

日本のカミサマ達はとても面白い方が多いので。

私は、それを私にできるカタチで視覚化していくことを、これからも続けるし。

人が自分らしく生きていくことを全うするために、見えない世界の存在が力を貸してくれることもまた、体感的には知っているので。

同じ【大きな世界】に存在している波の飛沫の一つとして、龍や神獣を視覚化することも、していきますし。

札などを介して伝えられることがある時は、それも惜しまないでやるつもり。

 

そして、「救うのは自分自身以外にいない」ということも、ずっと、伝え続けていきます。

 

 

 

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