旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

自分で仕掛けた呪いは、逆転して活用するがよいというか「それしかない」と解釈した!

怪しい話なので、好きじゃない方は回れ右~!

 

 

昨日書いたブログに、ありがたい「応答」いただきました。

過去の自分がしかけた呪い せっかくだから逆転させて活用すればいいんじゃあるまいか? - 緋呂の異界絵師通信

 

勝手に、そう思っている(笑)

 

こちら、マーヤラジャ先生の記事です。

treneseteemayard.doorblog.jp

 

せっかくなので、引用させていただきつつ、もう少し考えてみる。

案外と、この呪詛になりやすい年齢は確かにある。
悲しいとか、苦しいという我慢しなくてはいけないのが、3・4歳ごろだったりすると、インナーチャイルドといってもいいけど、16位から20くらいまでが出やすいとされる、若輩時呪詛。

 

リンク先の記事は、若い頃に自分が仕掛けた、自分を潰そうとする呪いについて。

条件が重なると発動してしまう、「うまくいかなくする」制限。

それを、私は「呪いだ」と感じ。

どうせなら、逆手にとって利用できないか、っていうことを書いた。

 

この、「若い頃」というのが、まさに、引用させていただいた先生の文章にある、高校生~20代初頭の話だ。

最も、創作活動に没入した時代であり、それだけに、最も「痛手」を受けている時代。

エネルギー値も、高かった。

この頃に、私は「なんとも気持ち悪い、某神様に関する出所不明の疑問」について調べたりもしている。

そして、そういうことが起きるのがイヤで、日本の神への興味を「ない」ことにして、意識的に忘却、避けるというややこしいことをするにも至った。

この件はまた別に。

 

 

この頃、自分で仕掛けた呪い。

それを逆転して利用できないか、っていうのは、ホントに思いつきで書いたのだけど。

なるほど、確かに、先生の記述を拝読すれば、

「むしろ、そうするしかない」

ってことが、わかる。

自分で自分にかけた呪詛ってのは、他者にかけたものよりも解除しにくいんでよ。
ほら、呪詛は失敗すると自分に返ると言うじゃないですか。
若年期の自分→自分への呪詛→返す→自分に返る→返すのを返す→自分に返る… ええい、うっとおしい。

 

 確かに。

エンドレスじゃんね。

過去の自分に返したら、それはそれで、当時それでなくてもダメージ食らいまくってる自分に、さらなる追撃だし(笑)

(笑い事じゃないけど、もう笑うしかないというか笑えてくる)

 

 

やはり。

ここはひとつ。

今の自分のためにも、未来のためにも、そして過去の自分のためにも。

逆転、活用を図るのみ。

 

 

...で?

どうやるんだろ?

 

まずは、言縁百式を全部、描くことか。

知らんけど。

たぶん、そうなんだろう。

まあいいや、書き終わったら使い方諸々実技講習待ってるし。

 

そんでもって。

後ろにいるヒトらに、ちょっと、いろいろとサインを今のうちから送っておく...と。

(こう言っちゃなんだけど、おっさんは私に力貸す義務があると思うぞ...)

(でもカミだからな...)

 

 

 

 

描いた後で「返し」をくらった絵を貼っておこう。

もっとも、その返しというのは本件とはまるで関係ない話なんだが(笑)

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絵でやってきた応え|手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

思ったことが分不相応すぎたので返し食らいました、という。

 

 

神は人を救いません 自分の足で立って歩け、という以外にないんです

残念なお知らせがあります。

神は、人を救いません。

 

反論がある方はゴマンといらっしゃると思います。

そういう方に、こう思えと強要するつもりはありません。

だから、救ってもらえるのだと思いたい方は、思い続けていけばいいと思います。

そうすることでご自身が支えられ動ける、というのであれば。

 

 

神の存在を云々する時に、必ず一度は引き合いに出される問いがあります。

 

「神がいるなら、なぜこの世には理不尽が尽きないのだ?」

 

という。

 

 

この問いを、ずっとずっと問い続けている方は、「それがなくならない=神はいない」と結論を出す方も多いでしょう。

 

私から見れば、「いつか神が救ってくれる」と思い続けるよりはまだ、神はいないと思う方がマシかな、って感じます。

なぜなら、神はいないと思って、自分でどうにかするしかないのだと覚悟するってことが大事だからです。

頼ってしまって動かないくらいなら、いないものと考えてアテにしない方がいい。

そこらへんは、「アテにならない親」とか「アテにならない上司」とかと似たようなものです。

 

 

もちろん、「どの神を指しているか」というのは、けっこう大きな要素です。

一神教の神なのか、なんでもあり多神教なのか、っていうのは、すごく大きいです。

私は多神教派ですけれど、一神教の神も「地球の神」の一柱であって、地球の神にはそのまた上の神がいる、っていうのを支持してるという意味の多神教です。

ゆえに、一神教も否定はしません。

それも、一つの在り方だと思います。

しかし、究極的には根源は一つ...も支持していますので、ある意味では一神教派とも言えなくはない。

 

そんな都合のいい話があるかって?

あります。

 

 

んで。

冒頭の、残念なお知らせに戻りますが。

 

神は人を救いません。

人を救うのは、人。

というか、自分自身。

それ以外の何者も、救うことはできない。

 

神がいるのになぜ、災害も理不尽な死も不公平もなくならないのか?

だって、そんなの当たり前ですから。

神は、「人の基準による理不尽」など、意に介さないですから。

なぜ、是正する必要があるのか?

そもそも、それを神は不都合と見なしていないのに。

意味ないじゃないですか。

 

 

神がいないから、何もなされない...のではなくて。

神は、そもそも、そんなための存在ではないのです。

 

人間の思う理不尽というのは、人間の尺度なので。

神の尺度ではありません。

神が人の尺度を優先して考慮すると、なぜ、思うのか?

私には、そっちの方が不思議です。

人間が、スズメバチの都合を考慮することなく巣を駆除するのと基本は同じですよ。

 

 

人にとても近い層に存在する「神」もいます。

その神々は、人の願いを叶えたり動いたりしてくれます。

けれど、その層の神々に、世界の構造全体をどうこうする権限はありません。

人間尺度の理不尽をなくす、というようなことは、世界の構造全体に関わることなので、そこに対しては無力です。

つまり、人を救うことはできません。

でも、人間にとって御利益をいただけるのは、その層の神々ですから。

 

例えるなら。

 

ちゃんとした働きをしたら特別報償をくれる会社が、人に御利益をくださる層の神々。

(ただし、働かないの度が過ぎれば切られることもあります)

 

その会社を取り巻く経済構造の全体が、その上の層の神々。

 

と思えば。

個人の利益に対して経済構造そのものが何らかの手を差し伸べるなんてことはない、って、わかるのではないでしょうか。

 

人間の一部にはスズメバチを偏愛してやまない者がいて研究もしているけれど、決してそれが人間全部には伝播しない。

だから、スズメバチは常に巣や仲間を突然失い全滅するリスクを呑みながら、人家の軒下に巣を作る。

その場所が、巣作りに都合がよい環境だから。

そういうものです。

 

理不尽な構造そのものが、神の在り方の縮図でもあります。

 

だから。

さよならカミサマ」と言って別れる道を選ぶことは、ある意味、正しい。

社会全体の構造なんていう大きすぎるものが人一人をなんとかしてくれる、と期待し続けて時節を無駄にするくらいなら、背を向ける方がマシ。

そして、背を向けたからって社会全体という存在が消え失せるわけじゃない...とも、わかるのでは?

 

 

 

見えも聞こえもしないヤツが何をわかったように!

って思う方に、どうしても理解してもらいたいとも思いません。

私だって、そこは自分でも疑問に思うこと多々なのですから。

だけど、もうどうしようもないんです。

これ以上、説明のしようもないし。

どうやっても証明などできることじゃないし。

 

ただ、神は人を救う存在ではない、っていうことがわかると、それこそ「救われる」人が増えると私は思っているのですよ。

そうか、自分でやるしかないんだ、って。

納得というか、納得できなくてもいいけどそう思って動き始めるのが大事だから。

 

自分の足で立って歩け

 

ていうことなんです。

 

祈りに全時間を捧げようと。

全財産寄付しようと。

何万人に布教しようと。

 

救われるためのパスポートは、もらえません。

 

 

そして、人は人だけで生きているのでも、人だけで世界を作っているのでもありません。

見えない世界は常に、人の世界と重なっていて。

相互に影響し合っている。

人の世界の在り方が変化すれば、見えない世界の在り方も変わっていきます。

さらに離れてしまうこともあり得るし。

そうなれば...なんというか...これは私の感覚による表現なので正確ではないのですけども...

空気が薄くなる

と、思います。

 

人は今よりも、生きていきにくくなる。

人そのもののエネルギーも薄くなる。

人が人であるために必要な滋養を補給できにくくなるから。

 

 

依存するのではなくて、都合よく利用するのでもなくて。

お互いが、お互いの存在を感じつつそれぞれを全うする。

ていうのが、理想かな、と。

 

 

「何もしてくれないなら、いなくてもいい」

と思ってしまうのも、人だな、って。

私は、感じるけれど。

そもそも、それは人が「子」だから思うことなんだとも、思います。

 

 

まあ、何をしてくれるとか関係なしに。

日本のカミサマ達はとても面白い方が多いので。

私は、それを私にできるカタチで視覚化していくことを、これからも続けるし。

人が自分らしく生きていくことを全うするために、見えない世界の存在が力を貸してくれることもまた、体感的には知っているので。

同じ【大きな世界】に存在している波の飛沫の一つとして、龍や神獣を視覚化することも、していきますし。

札などを介して伝えられることがある時は、それも惜しまないでやるつもり。

 

そして、「救うのは自分自身以外にいない」ということも、ずっと、伝え続けていきます。

 

 

 

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過去の自分がしかけた呪い せっかくだから逆転させて活用すればいいんじゃあるまいか?

自分が作ってきた価値観や、世界観というのは、自分自身で書き換えていく他ない。

人の助けを借りることはできるけど。

それはあくまでも補助にすぎず、実行は自分自身でやるしかない。

 

 

ずーっと昔に、いろんな要因によって形作られた観念というものがあり。

年を経て、自分の考え方も感じ方も世界観も少しずつ変化して、もはやその頃の自分とはまるで違う指針で動いている。

それでも、自分は自分で。

昔々に形作り一定の完成度に至り、それ自体が磁場を持つまでになった観念というものは、簡単には消えないものなのだ。

 

それを、実感した。

 

あの頃の自分が作った観念。

今では、もう、それに動かされることは減った、と思っていた観念。

でも、やっぱり、根の深いところで発動し続けている呪縛というのは、条件がそろったらきっちりと、あきれるほどの効果を発揮するものだった。

 

これもまた、魔法だな。

って、思った。

 

解除されない限り、発動条件がそろった時にきっちりと発動する。

お見事、昔の私。

 

そんなにまで、自分の描くもの、作るものを否定してたのか。

私は、自分の絵は嫌いではなかったはずなんだけどな。

そりゃ、満足するってことは全然なかったけれど。

そんなの、創作家は...ことに、職人的なタイプは、そういうものだと思うし。

人から認められた記憶の乏しさや、否定されてきた記憶の生々しさなんかは、今でも痛いんだけど。

それでも、基本的には自分の絵も小説も、嫌いではなかった。

というか、嫌いになれていたら、かえってよかった...と、思っていた。

そうなら、もっと早くにすっきりと、やめられたはずだから。

自然消滅するようにフェードアウトして、やめていったわけだけど。

それを惜しいとも思ってなかったブランク期間だけど。

もし、自分の作るモノを嫌いなら、そんな曖昧な消え方ではなく、「よし、これでもう終わりだ」ってどこかで思って、それで本当に縁を切れていたと思う。

 

無価値感は、今もずっと消せずに残っていて。

絵描き道に舞い戻ってからもずっと、それと格闘を続けてきた。

未だに、完全にそれに勝ったことはない。

ただ、足を取られることが減った。

それだけでも、私には大きい。

 

ところが。

本気の本気モードにならざるをえなくなり。

勝負をかけるだけの材料がそろってきて。

いざ、さあここから本番だ、っていうのを目前にした時。

呪いの発動条件を満たす出来事が続けて、やってきた。

 

多段階構造になっているこの発動条件。

今まで絵描き道に戻ってきてからも何度か、動いたことがあったのだが。

こちらの気合いというか、必要性というか、エネルギー値というか。

そんなものも、まだ大して蓄積されていない時だったので。

発動した呪いの質量も、それほどでもなくて。

(いや、当時にはそりゃ、大変だったんだけどね)

 

今は、その時とは比較にならないほど、私の未来へ向けての想いの質量が大きくなっているものだから。

発動した呪いの質量がもう、すごいことに。

 

自分を潰そうとする、この呪い。

 

かけたのは自分だから、自分が解除する他ない。

 

呪いが生きていたことにまず驚き。

その律儀な働き方に、驚き。

食らったダメージの大きさに、驚き。

 

昔の自分が抱えたものの根深さに、驚き。

 

 

こわいこわい。

 

また条件がそろった時に発動されたんじゃ、たまったものじゃない。

まずは、条件となっていることを「揃えない」ように動くということは大事なんだけど。

そもそもの、その魔方陣だか式だかをどうにかしないといけない。

この先、こんなことでいちいち落ち込んでいられない。

 

さあて。

この陣だか式だかを、逆転のものに書き換えることって、できるだろうか。

理屈の上ではできると思うんだけど。

 

せっかくの、これだけの威力を持ったものなんだから。

消すよりも、逆転させて、潰すんじゃなく活かす方の力に転換できれば一番いいじゃないか。

 

言縁百式の札を早く完成させろ...って、今浮かんできたけど。

それが使えるのか????

わからん。

 

基礎がないからホント、頭が痛い。

 

 

何にしても。

条件を揃えない、ということは、努力できる。

うっかり揃えてしまわないように気をつけよう。

ここは、気がついているから、回避はできるはずだ。

若い頃の自分から出された課題だからなー。

どうにか、するしかない。

 

 

 

 

この箱が、早く中身をくれ、と訴えております(笑)

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