旧<緋呂の異界絵師通信>

2018.05 本拠地を新天地へ移しました

マイルストーン的役割の作品展 初日前夜に書いた記事を今公開

これを書いているのは、4人展の前夜である。

いろんなことを、考えながら、スタート前の気分をメモしておく。

 

この展示会は、様々な意味で、私の「一区切り」となるイベントだと思う。

あかり玉を、あかり玉として展示する初の作品展だし。

 

それに、たぶん、こういうスタイルで他の誰かと合同展をやるのは、当分ないだろう。

 

もしかしたら、これが最後になるかも知れない…という気もする。

 

 

この展示会を企画したのは、昨年の終盤のこと。

具体的になったのは年が明けてからだ。

だが、そこからの数ヶ月のうちに、私の中の様々な事柄が変化した。

 

大きかったのは、「異界絵師道案内」と銘打ったセルフマガジンを作ったことだ。

あの過程で起こった様々な出来事や、考え抜いて結論を出してきたことが、いかに大きなものだったか…というのを、今更のように感じている。

 

 

art-hiro-b.hatenablog.jp

 

 

初回印刷800部が届いた時の画像。

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これを作るのと前後して、「異界絵師」という肩書きについても、熟考した。

私が思う神や仏や龍の世界というのは、決して「異世界」ではない。

この人間の世界も、その中に含まれるものであり。

別のものではない。

だから、「異界絵師」の異界のところを、何か他の言葉に替えたい…と、ずっと思っていた。

が、それも、熟考の末、据え置くことにした。

 

少なくとも、リアルな人間の三次元的な世界を描くのが題材ではない、ということは、異界という単語で端的に表現できる…というのが、その結論に至った大きな理由だ。

 

 

肩書き、自分案内、そして名刺。

これらを作るための試行錯誤の過程で、私が今まで抱えてきた、自分の中の「収まりが悪かったところ」が、次々、居場所を定めていった。

私と絵の関係性、私と神の関係性。

そういった、「私がこの道を往くにあたって、なかなか呑み込めなかったこと」が、驚く程に次々と、納まるべきところに納まった。

 

そして、その結果。

今までの自分なら興味を持っただろうこと、モノ、人。

そこに興味がなくなっていき。

こだわったであろうことが、全くどうでもよくなり。

見過ごすことができなかった違和感ですらも、どうでもよくなり。

 

同時に、自分の集中するべきところは、ハッキリしてきた。

 

 

色んな画材、素材を使って、いろんな手法で表現する。

それが、自分ならではのやり方だと、思って来た。

複合技を編み出すしかない…と、思って来た。

 

けれど、今は。

複合技を編み出す、ということに気を取られる必要は全くない…と、思っている。

 

そんなこと、必死にならなくても。

勝手に、そうなる。

なるようになる。

 

もはや、私には「そこに執着する必要がない」やり方というのが、できてしまった。

執着する必要がないと、わかってしまった。

 

もう、底引き網漁を繰り返す必要はない。

これからは、一本釣りだ。

 

 

楽しみのために底引き網をやるのはいいけど。

執着したり、必死になる必要は、全くない。

それは、私の役目じゃない。

 

私は、私の龍を泳がせる場所を、どうやら間違って想定していた。

 

そのことが、ものすごくハッキリとわかった時があった。

考えを重ねてきたこと、感情を吟味したこと、それによって整理されてきた自分ってものを経て。

あの時…あの、モノトーンの世界の中で。

ああ、もう自分は、そこに力を入れる必要はないんだ…と、わかった瞬間。

砂に水が染みこむような…というのは、ああいう感じを指すのかも知れない。

 

 

 

 

今回の作品展は、それらのことが起こる以前に企画が始まり。

初日を迎える前に、全て、片付いた…納まるところへ納まった。

その、前後を記憶しておくにはちょうど良い、マイルストーン的なイベントになるだろう。

 

 

さて。

初日前夜の私は、そんな気分。

 

ここから一週間、どういう思いで、過ごすことになるだろうか。

楽しみだ。

 

一旦、終了→公開は後日。

 

 

 

 

 


 

と、上の行までは7月20日の夜に書いたもの。

無修正でUP。

 

展示会が始まって、来て下さる方と、お話しする中。

特に、「あかり玉を見に来ました」と言って下さった方々が来てくださったことは、とても大きかった。

 

私自身の中の、「己の、世界に対する役割」というところに、旗が立った気分。

 

あかり玉に行き着くまでの紆余曲折も、全て、今までとは少し違った意味を持って、振り返ることができるようになってきた…と感じてる。

 

最終日まで全て終えたら、また、改めて、その時の所感を書こう。

 

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4人展4日目終了 あかり玉と絵の融合展示によって、少し「見せる」ことの枠が広がりました

太極殿幕内Exhibition、24日で4日目を終えました。

残り、あと2日。

 

連日、あまり切れ目なくお客様に来ていただけていまして。

嬉しい限りです。

ありがとうございます。

 

 

明日25日は、私は所用で県外に行きますので、お休みさせていただきます。

最終日26日は午後から会場入りいたします。

なお、26日は搬出のため終了が18時と繰り上がっておりますので、夕方に来られる方はご注意くださいませ。

 

 

 


 

今回、初めて「あかり玉」を、展示会に並べました。

お越しいただいた方には、「これが見たくて来ました」と言って下さる方もあり、嬉しい限りです。

 

 

https://www.instagram.com/p/BIHN-WkjYKL/

360度カメラで撮影しました。#artwork #あかり玉 #theta360

 

 

今回は、会場に都合の良い奥行きのある仕切れる場所があった。

だから、あかり玉を展示しようと思いました。

 

あかり玉メインの展示会をやりたい、という気持ちは前からあったけれど。

今回、出してみて、いよいよ、強く思いました。

 

そんなに大きな部屋である必要はないので。

部屋をもっと暗くして、存分に光を散らせるようにして、展示したいです。

 

しばらく先のことになると思いますが。

でも、やります。

 

 

今回一緒に展示している絵は、もともと普通に展示するために描いた絵たち。

次にあかり玉の展示をする時には、あかり玉で照らすための絵、というのも、描いてみたいと思います。

もちろん、それ単体でも見れるものでないと意味がないので、ハードル高そうですけど。

(とか言って、できない気は全くしないので、なんとかなるでしょう)

 

 

あかり玉は、これから私の重要な柱になっていくと思います。

それと共に、絵という作品群にも、若干の変化が出てくるのではないか…と。

そこは、まだ、予感でしかありませんが。

「あかり玉で絵を照らす」という見せ方が、今までの私の「絵を見せる」という概念の枠を、少し大きくしてくれた気がしています。

 

 

残り、あと2日。

どうぞ、よろしくお願いいたします!

 

 

 

 


 

26日まで、名古屋市北区の「箱の中のお店」にて合同展開催です。

 

私は、25日はお休みいただきます。

最終日26日は、午後から会場入りいたします。

26日は、搬出のため18時で閉会となりますのでご了承ください。

 

 

art-hiro-b.hatenablog.jp

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構って欲しいだけの人に自分の時間や労力を奪われないためのたった一つの方法

関わらないこと、これしかない。

 

構ってくれる人だと認識させないこと。

気がついたら、できるだけ目立たないように消えること。

 

 

かまってほしくてしかたない人に関わると、最初はよくても、どんどん、面倒なことになっていく。

今まで何度も経験してきた。

周囲でも、それで困惑~ブチ切れな人達を見てきた。

 

 

彼・彼女らの怖いところは、かまってもらうためならば己を人身御供に差し出すことも厭わないことだ。

 

悲劇の主人公を演じるためなら。

不幸自慢のためなら。

一般的には、とてもじゃないが「自慢にならん」ことですら、彼・彼女にとっては、自分に関心を向けるための材料になる。

 

理由はどんなことでもいいのだ。

 

それをデカデカとプラカードに書いて「自分ってこんなに○○なの」と、アピールすることができるなら。

普通ならみっともないとか恥ずかしいとか感じるようなことでも、構わない。

強力アピールのためなら、話を盛るとか、火の無いところに煙を上げるなんて、朝飯前。

 

どういう見方をしたらそういう解釈になるのか…と思うようなことを、平気で言う。

 

 

そして、彼・彼女らは、迫真の演技力にモノを言わせ…

というよりは、本人にとってはそれは「事実」であるのだから…

完全な捏造であっても、本当にあったことのように、事情を知らない他人には、映ってしまうのだ。

 

そして、「なかったという証明」は、できない。

 

 

こわいこわい。

 

 

自分はいつも被害者なのは間違いない。

決して、構ってちゃんなんかじゃない。

構って欲しがる人達に群がられて困ってるのは自分の方。

…そんなことを信じ込んでる人ほど、実は真性構ってちゃんである確率が高い。

 

 

今、自分の身近にいるアノ人、コノ人は、もしかしたらそうかも…っていう気がしているあなた。

その予感は、おそらく、正しい。

すみやかなフェードアウトをオススメする。

自分の本来の人生を漫喫するためには、彼・彼女らにかかずらって無駄にする時間は、もったいない。

 

 


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